川藤幸三が語る「阪神・平田勝男二軍監督の思い出」 【タイガースを情熱語り】

川藤幸三 川藤幸三
2025.09.01 03:00

■酒で朦朧としたままバッティング練習!

 平田がタイガースに入団してきたのは、ワシがもう晩年の頃やった。最初のキャンプでワシやカツ(中村勝広)と同部屋になったんや。だから「プロ野球選手たる者、かくあるべし」というのを叩き込んでやった。

 えっ? 「川藤のことだから、さんざん酒を飲ましただけとちゃうか」ってか。その通りや。よう分かっとるやないか(笑)。

 ある日、ワシらが練習を終えて部屋で飲んどるところに、ルーキーの平田が居残り特訓を終えて帰ってきた。5時頃や。

「ご苦労さん、まあ、一杯飲めや」

 そのまま夕食には行かさんと宴会や。やがてミーティングの時間になると、平田が心配顔で懇願する。

「カワさん、ミーティングですよ。行きましょう」

「そんなもん、関係あらへん。中止にしたる」

 ワシは選手会長をしてたコバ(小林繁)に、

「選手会が盛り上がっとるから、今日のミーティングは中止じゃ言うてこい」

 と指示した。「選手」ではなく、「選手会」が盛り上がっとる。つまり「会」と付くところがミソや。案の定、安藤統男監督もコバの申し出を認めざるをえんかった。ここから、また宴会の始まりや。

 しかし、しばらくしてマネージャーがやって来た。

「9時から素振りの時間なのに、平田がいないって、監督が怒ってますよ」

 ところが、本人はグーグー寝とる。昼間はグラウンドでしごかれ、夜はメシも食わんと酒盛りや。ぶっ倒れるのも無理はない。

 ワシは平田を思い切り蹴飛ばした。

「起きろ、このタワケ。さっさと大広間に行け」

 平田はバットを手に朦朧とした状態で、大広間へ行った。さすがにワシも心配や。柱の陰から平田の様子を覗くと、フラフラしながら必死にバットを振っとるやないか。いや、バットに平田が振り回されてるようやった。それでこそプロや。平田もタイガースの一員になったと思ったで(笑)。

川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。

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