6月25日、同月20日に発表された国分太一(50)のコンプライアンス違反による無期限の芸能活動自粛を受け、国分が所属するTOKIOが解散を決断し、世間に動揺が広がっている。
グループは31年間の活動に終止符を打った。5人から4人、3人と人数が減っても継続してきたグループだったが、そのなかで松岡昌宏(48)は、しばしば他のメンバーについて言及してきた。
「松岡さんは、元メンバーの山口達也さん(53)が女子高生への強制わいせつ容疑で書類送検された際の記者会見(2018年)で、TOKIOに戻りたいという趣旨の発言をした山口さんに“そういう気持ちが少しでも彼の中にあり、その甘えの根源が僕らTOKIOだったとしたら、これはあくまで自分の意見ですけども、そんなTOKIOは1日も早くなくしたほうがいいと思います”とキッパリ言い放ち、仕事への厳しいスタンスを見せました。
国分さんのコンプラ違反の発表があった翌日の21日は主演舞台の初日でしたが、公演後はファンや報道陣の前で被っていた帽子を取り、数秒ほども頭を下げる姿がありました。松岡さんは何も言いませんでしたが、これが国分さんの発表を受け、グループメンバーとしての責任感による”謝罪”だったことは明らかです」(女性誌編集者)
1994年に5人組でデビューしたTOKIO。実は結成時のメンバーは国分、松岡、城島茂(54)の3人だった。長瀬智也(46)、山口とメンバーの脱退を受け、デビュー時の3人に戻ったことについて、松岡は2024年9月4日に更新した自身のYouTubeチャンネル『松岡のちゃんねる』で感慨深そうに語るなか、国分についても言及していた。
この時の動画で、「仲間との出会い」を振り返っていた松岡。“メンバーでいちばん怒ってくれた人”は城島だといい、「調子ぶっこいてちゃダメなんだぞということを教えてくれた」としみじみ。
国分については「全くオレと真逆。すべてが真逆、考え方が」としつつも、「目指す場所は一緒なの、オレと」「全く違うところから行くんだけど、実は場所は一緒のところを目指してる」と、理想の姿は同じだという信頼関係があることを示唆していた。
松岡によれば、国分は「いちばん最初に会ったメンバー」だとし、
「10代のときイケイケだったからね。すごかったよ、番組やってても。“これじゃだめだ!”って言うのは国分さんだし。あの人はうちのプロデューサーだからね」
と続けた。5人のTOKIOを経て、現在それぞれの道でも活動できていることに「感謝だよね、メンバーに」と語っていた。
そんな国分と松岡は10代の頃、一度だけケンカしたことがあるという。松岡は24年9月25日に公開した動画で、少年隊のミュージカル『PLAY ZONE』の稽古後に東山紀之氏(58)や植草克秀(58)らとお好み焼き店を訪れた時、国分と松岡が残ったお好み焼きを誰が食べるか鉄板上で互いに押し付け合っている時、国分が着ていたTシャツにソースがハネてしまったというエピソードを述懐。そのTシャツは東山氏にもらったアルマーニのお気に入りもので、国分は「ふざけんな!」と激高したのだという。
仕方なく松岡が「1発殴らせるからそれで勘弁しろよ」と言うと、国分は松岡の頭を殴った後、松岡が頭を上げるともう1発お見舞い。松岡が「てめぇ1発って言ったじゃねぇか!」と反論するとさらに3発目を食らったといい、さすがに松岡も「3発も殴ることはねぇだろ!」とキレたというエピソードを懐かしそうに明かした。
翌日、国分が「飯行こうぜ」と“仲直り”の食事に松岡を誘って仲直りしたといい、松岡は「オレ国分さんとケンカしたの、これが最初で最後じゃねぇかな」と笑っていた。